イエスの愛弟子  (ヨハネ13・21-33)

キリスト教を信仰するにあたって、知識が全く必要ないというわけではありませんが、それより大切なことは、キリスト教を体験することであり、キリストと出会うことなのです。自分自身がキリストとつながり、その交わりに生かされることが欠かせない前提となります。これは、キリストを信頼し、愛することを意味するのです。

 その関係は、一方通行ではなく、双方向であるべきです。わたしたちはイエスからの愛を受け取り、イエスに愛された弟子となります。神はイエスを通して個々に愛を注いでくださいます。わたしたちはその愛に応えるだけでよいのです。キリストに愛されている者」がキリスト者の定義として当てはまるのではないでしょうか。

 

拙著『聖週間を生きる 毎日の黙想:受難と復活節の人物とともに』(2016年 女子パウロ会)p. 59‐60

写真は高木淳司さんの提供で「カトリック江袋教会(上五島町」アルバム。リンク先

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