聖書に登場するシンボル 「樹木」

   樹木は創造主が自然界に注ぐ生命力の具体的なしるしを表しています。木々は、春ごとに自然の再生を告げます。乾燥した砂漠で草木を見出せば、そこには生命を可能にする水のある事がわかる(出エジプト記15・27)。神が祝福する敬虔な信者は樹木にたとえられるのです(詩編1・3)。

   このような意味づけを基本として、聖書では三つの方向に展開していく。① 命の木。創世記に園に不死をもたらす実をつけた「命の木」を置いている(2・9、3・22)。この木と並んで、実を食べることが禁じられている「善悪の知識の木」もあります(2.16‐17)。人間はその実を食べ、その結果、命の木への道を断たれます(3・22‐24)。神の国。支配する地上の王国を巨大な一本の樹木にたとえる用例でよく見られます。エゼキエル書に上は天までそびえ、下はよみにまで達しています(31・1-9)。しかし、この木は高慢を基としているゆえ、倒れるのです(31・10-18)。それに対して、一粒の小さい種から成長する神の国は、あらゆる鳥が来て巣をつくるような大きな木になります(17・22‐23、マタイ13・31‐32)。③ 十字架。木は、死刑執行の道具でもあったため、呪いのしるしともされました(創世記40.19)。ところが、イエスはこの呪いを自分の身に引き受け、十字架にかかって自分の体に人類の罪を担いました。十字架は「救いの木」となり、「命の木」が豊かな実を結ぶ楽園に帰っていく道が開かれたのです。

 マンフレート(著)/池田 紘一(訳)『聖書象徴辞典』人文書院 参照。***写真は樅木のつり橋で、高木淳司さんの提供。樅木の吊橋(もみぎのつりばし)のアルバム、リンク先 

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