「福音書を読み、イエスに親しむ」⑳ 見ることを学ぶ

      イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』 マタイ21・42

       神がなさった手段は、弱さによるものでした。福音の素晴らしい知らせとはまさに、神が小さな、弱くてもろい姿をとられたからこそ、わたしたちのただ中で実を結んだということです。イエスの生涯ほど、豊かな実りを結んだ生涯はありません。幼子としてわたしたちのもとにやってきて、他人からの世話と保護に頼りました。あらゆる政治力も、経済力も、軍事力もなしに、貧しい教師としてわたしたちのために生きました。役立たずの犯罪者として十字架に釘づけにされました。この貧しさ、損なわれた存在の結んだ実りは、イエスを信じるすべての人に与える永遠の命。

      わたしたちにとって、神がもろさを受け入れたという奥儀のほんの一端であっても、それを把握するのはとても難しいです。それでも、見る目と聞く耳を持つことさえできれば、さまざまな仕方で、あらゆる場所で、それに気づくことができます。「キリスト者の視点から見た親しさ、豊かさ、喜悦」H. ナウエン

写真は高木淳司さんの提供で「マリアの宣教者フランシスコ修道会 熊本修道院」アルバム

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