受難は、突然の出来事でも思いがけない結果でもありません。それは「友のために自分の命を捨てること以上に大きな愛はない」というイエスの一貫した生き方なのです。イエスの死は、愛の行いです。友のために最後まで愛し抜くことなのです。
イエスが受けた暴力や残酷さにばかり目がいってしましますが、受難と十字架からくる救いは、「だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」とあるように、イエスの神に対する信頼と互角の現れなのです。(ヨハネ10・18)
拙著『聖週間を生きる 毎日の黙想:受難と復活節の人物とともに』(2016年 女子パウロ会)p.80-81
写真は高木淳司さんの提供で、「聖金曜日」アルバムリンク
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