2023-01-01から1年間の記事一覧
いままでに起こったすべての出来事を振り返るとき、私たちがたやす陥りやすい考え方は、感謝できるよいことと、忘れてしまいたい悪いことを区別して考えてしまうことです。しかし、このように過去を振り分けるなら、こだわりなく未来に向かって歩んでいくこ…
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霊的に読むことの大きな価値は、それが私たちの生活に意味を与える助けになることです。人間はただいきるだけではなく、なぜ生きるかを知りたいからです。思いめぐらすことの伴わない生活は、ついには生きる意味が分からなくなり、退屈きわまりないものにな…
私たちはたいてい知識を得るためか好奇心を満足させるために本を読みます。「これは本当に事実なのか、だれがどうやってこの物語をまとめたのか」と問いながら読むこともできます。しかし、霊的な注意深さと驚きをもって読むこともできます。「ここで神は、…
オリンピックで金メダルを獲ることをゴールとする運動選手たちにとっては、それ以外のすべてのものは二の次です。食べること、寝ること、学ぶこと、練習することなどすべては、この明確な一つのゴールによって決定されます。 このことは霊的な生活においても…
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つねになすべきことは、「なぜ私たちは生きているのか」という問いかけです。私たちの短い一生のうちに起こるすべての出来事は、その意味を問われ、解釈される必要があります。本や新聞を読むことは、私たちがこの時代のしるしを見分け、そこから、自分の人…
私たちの苦しみの多くは、つらい状況だけからくるのではありません。苦しみのただ中で感じる孤独感からくるものです。他の人が自分の苦しみを負ってくれ、本当に聞いてもらえたと実感できたときに、真の解放の一歩を踏み出すのです。 H.ナウエン「生活の中…
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人生のあらゆる時に、喜びを選び取る機会があることに気づくとはとても大切です。自分の人生境遇そのものは無理にしても、その境遇にどのように対処するかは選ぶことができます。ですからいまを、恨みを引き出す時として生きるか、喜びを引き出す時として生…
いまを生きるために最も大切なことは、「いま」のこの時であり、「ここ」にあることを心から信じることです。私たちは過去の出来事や、未来に起こるかもしれないことに絶えず心が乱されます。私たちの心は御しがたく、いつもわたしたちをいまこの時から引き…
現在を生きることはたやすくありません。なぜなら、過去と未来が絶えず私たちを悩ますからです。とがめや悔いが過去と共についてきます。思いわずらいが未来と共にやってきます。しかし、現実の生活は、いまここで生きているものです。 H.ナウエン「生活の…
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「わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる」マタイ28・20 イエスのことばは、「あなたが死んだあとの約束」ではなくて、「いま」「ここ」で実現し始めると断言しています。「いつも」という表現は、ある瞬間だけではなく、この地上に暮らしている…
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」(マタイ16・15) 相手を大切にしていることの要因として、夫婦や親しい友人の生年月日や学歴、そして好きな音楽など表面的なものだけではありません。互いに関わったからこそ、相手…
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わたしは道である(ヨハネ14・6) 人生の歩みの中で、山もあり谷もあり、波風も立ちます。色々な場面を想定して、細かいところまで計画を立てても、当日の状況によって変更せざるをえなくなったり、ハプニングも起こるでしょう。また、出発点と目的地の間に…
柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。(マタイ5・5) 柔和な人は人間に対して、威圧的な権力ではなく、根気強い説得力を持っています。柔和な人は暴力、威圧的な権力を使わず、慈しみへの道を開く機会を与える人です。柔和な人は不正な…
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イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。(ルカ24・50) 自分自身を呪われた生活をおくっているもののように考えてしまうことは、絶え間なく起こってくる誘惑です。友だちを失うこと、病気、事故、自然災害、ちょっと…
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。(マタイ5・ 7) 「憐れみ」ということば「かわいそう」という口先だけのことではなく、体で反応を示すという意味です。原文では「はらわた」ということばです。人間の惨めさを見て、同情するだ…
ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。(ヨハネ20・3) 主の復活を告げるためにの駅伝に出ている私たちも走り続けましょう。
柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。(マタイ5・5) 柔和な人は人間に対して、威圧的な権力ではなく、根気強い説得力を持っています。柔和な人は暴力、威圧的な権力を使わず、慈しみへの道を開く機会を与える人です。柔和な人は不正な…
心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。(マタイ5・8) 聖書の人間観におけるこころは意識、知性と自由を備えた人格の源であると同時に人間が決断を下す源にもなります。こころは、良心の律法、神が神秘的に働く場でもあり、人間と神との出会…
イエスは「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。 (ヨハネ11・43) 私たちは見た目には死んでいないが、生活の中で、人間関係に疲れて、消極的な生き方をしているかもしれません。また、知らず知らずのうちに、周りの人に対して、死人のような冷たい心…
弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れる…
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悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。(マタイ5・4) なぜ、悲しさは「幸い」だと宣言されていますか。その宣言は、出来事の中で神の不思議な働きと、人間の存在、そのもろさを憐みのまなざしで見つめることから来るからです。それによって、…
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」(マタイ17・5)「聞く」ことは、単に耳で相手の声を聞くという意味だけではなく、聖書でよく用いられる表現である「聞き従うこと」や「聞いて実行すること」という行動を伴う姿勢でもあります…