㊺ 今週もみことばとともに(年間第27主日)A

「祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき」(マタイ21・45)

  たとえ話は、聞き手を話に引き込み参加させるものです。点火すると、ゆっくりと燃えながら煙を出す導火線のようなものです。これは、聞き手に自分を問いただすように促すものです。途中から、聞き手は第三者から当事者の立場に逆転します。つまり、判断する者から判断される者になっていきます。この逆説的な構成によって、習慣的な生き方を破るという神の国における生き方が示されます。「自分に当てはまるはずがない」という思いこみから「まさに自分のことだ」という逆転した立場にどう応えるのか、常に真剣勝負なのです。

 写真は高木淳司さんの提供で、「草枕 石畳の道」アルバムから

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