「家畜小屋」*
家畜小屋(馬小屋でも)は、ぴかぴかに磨きあげられていません。そこには、わらや干し草にまみれた糞尿があります。わたしたちの心は決してきれいでも、汚れがないわけでも、無菌状態でもありません。そこには汚れたものも集まっています。わたしたちがどこかに押しやりたいものは、意識の下で隠れて、腐っています。
わたしたちは、きれいな部屋ではなく、心の汚れた家畜小屋しか神に提供できません。しかし、それは、自分がまるで神の誕生に何か貢献したかのような思いからわたしたちを解放してくれます。神がわたしたちの内にお生まれになろうとされています。それはわたしたちが神に何かを提供できるからではなく、神が私たちを愛してくださっているからです。あなたも、ありのままの自分自身がキリストの住まいとなることを信頼していいのです。キリストは家畜小屋で、あなたのために、そして、この世界のためにお生まれになったのです。」
*日本ではあまり目にしませんが、実はクリスマスに欠かせないものがあります。それはキリストの生まれた場所です。
「クリスマスの黙想―新しい始まりを祝う」 A. グリューン、キリスト新聞社。
写真は高木淳司さんの提供で、「待降節」アルバムから
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