「福音書を読み、イエスに親しむ」② 神からの愛の承認

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洗礼者ヨハネはこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」イエス、洗礼を受けるそのころ、イエスガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川ヨハネから洗礼を受けられた。 水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。 すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。(マルコ1・7-11)

   イエスはきっぱりと謙虚の道を選ばれたことがわかります。イエスは、新しい命令を布告する強力な救い主として、勇ましいファンファーレを鳴らしたり、登場を誇示したりなさいませんでした。それどころか、悔い改めの洗礼を受ける多くの罪人たちに交じり、静かに登場なさいました。その選択は、天からの声によって承認されます。「あなたは、わたしの愛する子、わたしの心に適う者」。

それこそがイエスの核となる経験でした。自分が何者であるかを深く、深く心に刻み、それを自覚したのです。イエスの全生涯は、すべての出来事のただ中で、このアイデンティティを絶えず主張し続けた歩みだったということです。称賛されたり、軽蔑されたり、拒否されたりした中で、こう言い続けたのです。「人々はわたしを見捨てるでしょう。しかし、わたしの父は、見捨てません。わたしは神に愛されている子です。そこに、わたしは、希望を見出します」。イエスの公生活の核となる瞬間は、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者」という承認の声を聞いた、ヨルダン川で洗礼を受けた瞬間です。

 「明日への道・ラルシュㇸと向かう旅路の記録」H. ナウエン

 写真は高木淳司さんの提供で、「聖母子像 カトリック島崎教会」アルバムから

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