イエスの心に触れる 「み国がきますように」③ 

   天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。うに。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。(「主の祈り」の文

 神の国は場所的なことではなく、状態、生き方なのです。それは人間観、人間関係に革命をもたらします。人々との日々の関わりの中で、一つ一つの小さな働きがたゆむことなく、築きあげていく救いの歴史の横糸となり、救いの織物を織りなしていくのです。どのようにその国はやってくるでしょうか。神の国は人間に対する神の恵みで、だれも自分でそれを設けることはできません。時間と歴史の中で、人間の経験の中への神の介入は、神が始められたこと。

 「カトリック教会の教え」には、次のように書いてあります。『イエスが教えた神の国は、神の愛の支配やその支配の及ぶ領域を意味します。そして、支配とその及ぶ領域は、全被造界のあらゆる場に至るべきものなのです。人の心の働きにも、考え方にも、人々の行動にも、人々の行動様式、人間と人間関係の在り方にも、生活習慣。。。にも。科学的な知識の使い方にも、国家の政策にも、すべてに及ぶべきものなのです。したがって神の国とはただ教会に関わることがらだけを指すものではありません。信仰者であろうがなかろうが、神の国は受け取らなければならないものです。』(435)拙著「日々の暮らしの中で」 

写真は高木淳司さんの提供で、「阿蘇高原 絵本美術館」アルバム 

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