「福音書を読み、イエスに親しむ」⑲ いよいよ豊かに実を結ぶように

   わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。(ヨハネ15・1-2)

     多くの不要な枝や小枝が実をたくさん結ぶのを妨げています。それらは切り取らねばなりません。それには痛みが伴います。不要かどうか自覚しているわけではないので、なおいっそう痛みを感じます。でも、切り捨てねばなりません。実をより豊かに実らせるために。このことはわたしにとり、拒絶のつらさ、孤独な時期、心の闇と絶望感、人からの支援と愛情への飢餓は、神による刈り込みかもしれないと受け止める助けになります。神はさらなることに招いています。刈り込まれた木は見栄えがしません。しかし、収穫の時には、多くの実を結びます。わたしの人生におけるもっとも大きなチャレンジは、神の刈り込みの手を認め続けることです。そうすれば、恨みがましさや落胆を遠ざけることができ、さらには自分の考えている以上の結実に招かれていることを知って、なおいっそう感謝の思いにあふれるでしょう。「明日への道」H. ナウエン

写真は高木淳司さんの提供で、「てんとう虫」アルバム

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