イエスの心に触れる ⑭ 「憐れみ深い人々」

   憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。(マタイ5・ 7)

      憐れみの心遣いは隣人が置かれた状況に心を配ることから始まります。言葉にならない隣人の叫びに耳を澄ますこと。周囲に目を開き、凝らすこと、自己中心的な殻から出ていき、他者に向けられる視点を持つこと。「憐れみ」ということば「かわいそう」という口先だけのことではなく、体で反応を示すという意味です。原文では「はらわた」ということばです。人間の惨めさを見て、同情するだけではなく、その惨めさに、はらわたが動揺するほどのことです。その動揺から湧いてくる同情というのは、寄り添い、一体感となるほどその思いを担うという行為です。そして、行動することは自分と相手との連帯から生まれてきた成果であり、現状を変えるための始まりでもあります。

     キリスト教的生活の実践の中で、身体的、精神的に困っている人々を助ける行為は憐れみ或いは慈善のわざがあります。具体的に身体的なわざは「飢えている人に食べものを与える」「渇いている人に飲みものを与える」「着るものがない人に衣服を与える」「病者を訪問する」「寝るところがない人に宿をお貸しする」「牢につながれている人を訪問する」「死者を埋葬する」となっています。そして、精神的な憐れみのわざは、「疑いを抱いている人に助言すること」「無知な人に教えること」「罪人を戒めること」「悲しんでいる人を慰めること」「人から侮辱されたときにゆるすこと」「煩わしい人を忍耐強く耐え忍ぶこと」「生者と死者のために祈ること」となっています。

拙著「日々の暮らしの中で」。

写真は高木淳司さんの提供で「夕方の江津湖」 アルバム

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