イエスの心に触れる ⑬ 「義に飢え乾く人々」

義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。(マタイ5・6)

  「義」という言葉に対する解釈はそれぞれありますが、聖書的裏付として、ヨハネ福音にあるイエスの「表現」に触れましょう。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」(4・34)。これによって義は神のみこころを行うことで、それはすべての人が救われますようにという願い。こういう視点から実践を促す角度が見えてきます。1.「神の義」、つまり、全ての人間に与えられた神の救いのこと。2.「人間の義」つまり、施しから小さくされた人の権利を保護することまでを含む善のわざ。3.「社会的な義」、つまり人間同士の公平な関係が実施される意識づくりとその実行です。

   生きるために、まず、食べたり飲んだりしなければならず、その欲求を十分に満たさなければ命にかかわります。さらに、この必要なことは物質的な食べ物から、社会的には衣食住を通して、人間の尊厳という糧、そして、愛すると愛されることといった人生を養う生きがいまで含んでいるのです。義に対する三つの心構えは根、花、実りと関連しているのです。人間性における多次元的、重層のレベルで物理的な飢え渇きから、心の飢え渇き、人間関係の飢え渇きまで、人間の成長のため、すべてが欠かせないものなのです。

拙著「日々の暮らしの中で」。

写真は高木淳司さんの提供で「カイツブリの親子」 アルバム

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