「イエスの心に触れる」 ⑮ 心の清い人々

心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。(マタイ5・8)

  ひらがなで書く「こころ」は感情、意志、知性などの精神的働きを包含する広い意味を持っています。一方、漢字の心は、二心、心細い、下心、心配りなど、心の中から出ていくもの、生まれるものなどがあります。共通点は「こころ」がその源です。清い心を育てるために、外側からくる刺激、誘惑、偏りなどに惑わされず、内側から心を育み、養成し育てることです。

  聖書の人間観におけるこころは意識、知性と自由を備えた人格の源であると同時に人間が決断を下す源にもなります。こころは、良心の律法、神が神秘的に働く場でもあり、人間と神との出会いの場です。こころの清い人は欲望の清らかさを求めて、行動する時、下心を持たない人のことです。それによってすべての者・物・出来事の中に神を見出すことができます。心の清い人は神を観想した体験から生まれた「まなざし」を通して人・物・出来事を見ています。イエスが「人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである。」(マルコ7・21-23)と述べられたように、清い心を持つ人の口から発生する言葉は、人を慰め、祝福し、解放し、照らし、励まします。言葉遣いによって他者との関係が分かります。

拙著「日々の暮らしの中で」。

写真は高木淳司さんの提供で「オシドリ(鴛)」 アルバム

https://www.facebook.com/atsushi.takaki.31/posts/2119010434904044

f:id:nipponblog:20211019063434j:plain