「イエスの心に触れる」⑱ 迫害されるあなた方

わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。(マタイ5.11-12)

    イエスの弟子たちがどう生きなければならないかという具体的な教えは語られていませんが。天の国のビジョンが示されています。それに基づいて、そこから私たちがどう生きなければならないのか、イエスが望んでいることは何かが見えて来るからです。幸いの宣言には「その人たち」という三人称の主語が、この「幸い」で(11~12節)あなたがた」(弟子たち)という人になります。「迫害」というテーマと関連して語られた事柄という理解です。

    迫害は決して身体に限るものではありません。精神的、社会的な迫害のような環境と雰囲気もあります。無理解と誤解、冷笑され、敬遠されることもあるでしょう。同様に、私たちの暮らしが社会の中で何もかも円滑に溶け込んでいるなら、私たちの福音価値に基づく証しは問われるべきかもしれません。つまらない、取るに足らない証しになっているかもしれません。あるいは周囲の反応を恐れて、それを見せないように、遠慮しているでしょうか。私たちはキリスに従う者として、社会に対して預言的な証しするものなのです。

拙著「日々の暮らしの中で」

写真は高木淳司さんの提供で「江津湖」 アルバム

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