イエスの心に触れる ⑨ 「幸いの宣言」

心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。

柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。

義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。

憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。

心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。(マタイ5・3-12)

 

この8つの「幸い」の宣言を受ける側は、ある態度を持ち、それに基づいて生きている人々です。第1「幸い」と第8「幸い」には「天の国」が含まれているので、この幸いの宣言すべてに対して、「天の国」はひとつの枠組として受け取れるでしょう。「天の国」あるいは「神の国」とは領地ではなく、神の愛とゆるしが広がる世界を指しています。人間関係に向かって、神の愛とゆるしの介入により、この世の苦痛と問題に対して神によってそれが正されるのです。

エスは目の前にいる差別された人、圧迫された人、社会や宗教から追い出されている人々に「幸いだ」と宣言します。これを聴いた人々は、本人たちがおかれている現状は「幸い」というわけではなく、神の働きを受け取ります。神は私たちの置かれている場によい訪れを送り、救いの業を始められるからです。

拙著「日々の暮らしの中で」。

写真は高木淳司さんの提供で「産山村 ヒゴタイの花」アルバムリンクは

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