ユダも友と呼ばれた   (マタイ26・16-25)

ユダは謎に包まれた人物です。わたしたちは「なぜそのようなことを企てたのか」と厳しく問いただしたくなるでしょう。しかし、同情のまなざしで、ユダを見つめてください。なぜなら、イエスがユダに最後までそうされたからです。イエスを逮捕するために、兵士たちがゲツセマネに到着した際、ユダはイエスに接吻した後で「友よ」と呼ばれています。これは友情を象徴する表現です。

「裏切り」は最も密接な関係、すなわち自分を他者に委ねるときに存在します。裏切りに対する反応は様々ですが、復しゅうを果たすことが多数を占めるかもしれません。しかし、全く異なった反応もあります。それは、裏切られたことに対して何の説明も求めず、裏切った人を自らゆるすことなのです。これは非常に困難な行為です。しかし、イエスにならうキリスト者にとっては、ゆるしは無理ではなく無償の愛の行いなのです。

拙著『聖週間を生きる 毎日の黙想:受難と復活節の人物とともに』(2016年 女子パウロ会)p. 63‐64

写真は高木淳司さんの提供で「カトリック江袋教会(上五島町」アルバム。リンク先
https://www.facebook.com/atsushi.takaki.31/posts/1635317596606666

f:id:nipponblog:20200408082552j:plain