「福音書を読み、イエスに親しむ」 ㉔ 復活はすでに起こっている

エスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダが進み寄って来た。祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。(マルコ14・43)

  

復活とは、単に死後の命のことではありません。何よりもイエスの受難のうちに、すなわち待つことの中にほとばしり出ています。イエスの苦難の出来事は、受難のさなかさえも、それを打ち破る復活を指示しています。ここで突然のように気づくことは、神の栄光、神の神性は、まさにイエスが最も犠牲を強いられた受難によって、ほとばしり出ているということです。ですから新しいい命は、三日目に復活したことだけではなく、すでに受難において、引き渡されることのうちに目に見えるものとなったのです。それは何も増して、待ち望む愛であり、支配しない愛です。わたしたちは、いかに周りからなされるままの存在であるかを痛切に感じるとき、気づきもしなかった新しい命に触れるようになります。「待ち望むということ」 H.ナウエン

写真は高木淳司さんの提供で、「睡蓮」アルバムから

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