福音書を読み、イエスに親しむ」 ㉗ わたしたちの人生 

 このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。 これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。(ヨハネ20・30-31)

   私たちの人生は、イエスの人生に似るように定められています。イエスの宣教が目指したものは、御父の家にわたしたちを連れていくことです。イエスが来られたのは、罪と死の束縛から解放するためだけではなく、イエスが保っている聖なる生活の親密さにわたしたちを導くためです。その意味することを想像するのは難しいです。なぜなら、私たちは、イエスとの距離がいかに遠いかを強調しがちだからです。罪深い、破綻した私たちの人間は、近づきがたい全知全能の神の子としてイエスを見てしまいますからです。しかし、そう考えるなら、ご自身の命を私たちに与えるために来られた事実を忘れてしまいます。イエスの宣教のこうした根本的な目的が分かって初めて、霊的な生活とは何かを私たちは理解できるのです。霊的な生活を生きることは、心の変化、つまり回心を求められます。そのよう回心は、突然の内的変化かもしれませんし、長い時間をかけた静かな変容のプロセスかもしれません。しかし、それはいつもわたしたちの人生が統合されて見えてきます。「すべてを新たに」H.ナウエン

写真は高木淳司さんの提供で「古代蓮」アルバム

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