イエスの心に触れる 「主の祈り」 ①

  天におられるわたしたちの父よみ名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。(「主の祈り」の文)

 聖書における祈りで、「父よ」の表現で始まるのは当たり前の表現ではありません。150の詩編の中でこの表現で始まる詩編は一つもありません。この表現は、イエスの祈り方の一つの特徴で、ヨセフとの関係も反映しているでしょう。幼子の父親に対して信頼と安心を求め、見出す体験です。イエスが教えてくださった祈りとして、「主の祈り」という名で古くから教会の中で大切にされています。

「わたしたちの父よ」は多種多様な表現で、連結し、響きあい、支えあい、慰めあい、力づける愛、一つの「織物」を織っていると感じるでしょう。わたしは一人ではない。「わたしたちの父よ」と祈るこができます。それは昨日出会った人々と、今まで出会った人々と、また、わたしたちにとっては過去、未来に属していて、この地上で会うことのない人々、その無限の広がりの中で発せられる一つの「わたしたちの父よ」と連結し、その水平の繋がりにしっかりと結びつけられます。拙著「日々の暮らしの中で」 

写真は高木淳司さんの提供で、「雨上がり」アルバム

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