イエスの心に触れる 「わたしたちの日ごとの糧を」⑤

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。 アーメン

   パンや糧があると生き延びることができますが、それだけでは人間として生きるためには足りないでしょう。パン、あるいは糧というのは、人間にとって食べ物なら、それは人生の意味をくれる食べ物になります。パン、あるいは糧は人間にとって欠かせないものです。糧は、健康、住まい、仕事なども表しています。生きて行くために、体の栄養としての糧は必要なものですが、それだけで満たされるのではなく、価値のあるものや、生きる喜びや人生の生きがいなどに飢え乾くわたしたちです。たとえばこの世に生まれてきたわたしたちの存在、一人の人間としての尊厳という糧の意味もあるでしょう。宗教の立場なら、希望のパン、信仰のパンとも言えるでしょう。体のための糧、心のための糧、人としてその尊厳を保つための糧。信仰者としてその信仰を保つためにどちらの糧も「今日もお与えください。」これは私たちの日常的な願い、要請なのです。

 拙著「日々の暮らしの中で」 

写真は高木淳司さんの提供で、「「睡蓮」アルバム

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