イエスの心に触れる ➆ 「わたしたちを誘惑に陥らせず」

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。 

  原文では、「誘惑」は試練の意味でも、「誘惑」の意味でも使います。どちらも苦しみには変わりがありませんが、それが「誘惑」となるのは、それに打ち負かされる危険が強く意識されているときです。危機という表現は危険と機会という意味合いを持っています。危険は誘惑に遭う時、誘惑を受けること。機会は誘惑と戦い、それを乗り越えること。イエスとの出会いにはいつも試練が伴います。それは悪の魅力が増すことになるのです。

  この祈願は「誘惑に陥らせず」と否定的に表されています。これを肯定的な表現にすると「試練を乗り越えさせてください」となるでしょう。ですから、わたしたちは「主の祈り」の「誘惑に陥らせず」という祈りをするとき、毎日試みに遭う時、その試みを乗り越えることができるように、神からの恵み、力を求めるのです。「誘惑と試み」に対してはファイトで、立ち向かいましょう。

 拙著「日々の暮らしの中で」。

写真は高木淳司さんの提供で、「カトリック島崎教会(熊本市)」 アルバム

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