イエスの心に触れる ⑩ 「心の貧しい人々」

            心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

                                                                                         (マタイ5・3)

 

「心の貧しい」という表現ですが、「物乞い」という訳は原文に一番近い意味の言葉です。生きるために、周囲の人たちの寛容や寛大さに頼るしかないという意味です。聖書によると旧約時代、イスラエルは政治的な独立を失い、支配者の占領に困窮、侮辱される、という体験を強いられていました。そのため、神のみ旨に従順、神の摂理に希望を置かざるを得ませんでした。自分も物乞いであることをどのように理解ができますか。人間関係に悩み、恐れることから重い病気にまで、事故や台風などという予想しなかった出来事に遭遇したその影響など、それらは自分のもろさのしるしとして認めることができるでしょうか。

自分の貧しさを知る人は自分の力や能力ではなく、神の権力とやさしさに頼る態度を持つ人のことを言っています。豊かに暮らしている人、能力に自信を持つ人たちは、その特権を失うという恐れに縛られて、福音の訪れに対して、心を閉ざしています。一方、人間のもろさを体験してきた人は福音を受けいれる土壌が出来ています。なぜなら、イエスの言葉を慰めや、希望、励ましの言葉として喜んで受け入れるからです。

拙著「日々の暮らしの中で」。

写真は高木淳司さんの提供で、「「アオバトの群れ」 アルバムリンクは

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