「福音書を読み、イエスに親しむ」⑮  祈ること

  あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。(マタイ6・7-8)                        

祈りとは、ただ神と話をすることだと考えている人がたくさんいます。祈りは、ふつう、神への一方的な働きかけに見えるので、ただ神に話しかけることだと思ってしまうのです。祈りをこのように考えると、強い欲求不満を引き起こしてしまいます。問題を出せば、解決を期待し、疑問が生じれば、答えを望み、導きを求めれば、その応答を期待します。ただ暗闇に向かって話しかけていると思うようになるにつれて、神とわたしとの対話が、本当はわたしの独り言に過ぎないのではないかと思い始めても不思議ではありません。そのようなとき、こんな自問自答を始めることがあります。ほんとうは誰に話しているのだろうか。神かそれとも自分自身にかと。祈りの生活で危険なところは、頭は神の知識で満たされているが心は神から遠く離れていることです。

「イエスの示す道」 H. ナウエン

写真は高木淳司さんの提供で「教会のバラセントコルベ」 アルバムから

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